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#89

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本日2022年8月1日、Kics Document. は10周年を迎えました。

10年前に、日本の職人技を守り継承する足がかりとなるブランドを目指し、質の高いAll Made in Japanの服を提供するためスタートしました。
それは今も変わらず継続しています。

ブランド名は

Kics=喜久雄’s(靴職人だった祖父の名前)  Document=ドキュメンタリー .(ピリオド)=完成させる

という意味があり、幼い頃から側で職人技を見せ続けてくれた「祖父と自分のドキュメンタリーのようなブランド」を作りたいと名付けました。

いまだにキックスドキュメントと読み間違えられたり、最後のピリオドを抜かされてしまったりして都度やんわり修正をしなければならず、何かと手のかかるブランド名ですが、気に入っているしもう後には引けないということで、10年間一緒に歩んできました。

個人事業からスタートし4年、法人化してから6年が経とうとしています。
個人か法人かという形態に私自身はあまり頓着が無く、当時大きな会社との取引に不便が出てきたので法人成りしたという経緯です。
会社名は『キクスレイン株式会社』『 (英名) Kicslane Inc.』。”キクスドキュメント. の進む道がいつでも拓かれるように” と付けました。
法人として一人は据えなければならないので代表取締役は私が務めてきましたが、本来の私は絵を描くことが大好きなものづくりの人。デザイナーです。

この10年は、大変に月並みですが「ただがむしゃらに走ってきた」というほか表現がありません。
6年目くらいまでは、頭につけたヘッドライトが前方の4日間分位しか投光してくれないまま、50m走の速度で疾走し続けたという感覚。マンガとかにするならば、私の不恰好なダッシュ姿の上に「うおぉおおおおおーーー!!!」と吹き出しがつくような。
よく走り、よく転び、よく立ち上がった10年間です。

走っている間、並走してくれる人が現れたと思ったら突然姿を消したり、自分で何かに躓いて転ぶこともあれば誰かに足を引っ掛けられ擦り傷だらけになったこともある。そこでちょっとぐずぐずしていると抱き起こし、背中をぽんと押してくれる人もいました。

よく、一流アスリートが勝利の報告の場で「今まで支えてくれた人達のお陰でこの勝利を手にすることが出来ました。心から感謝します。」と言いますね。実は私はこの言葉に、かなり長い間強い違和感を抱いていました。
「え?なんで?それ絶対自分が頑張ったからでしょ!」と思っていたからです。

そして批判を恐れず、正直に告白しますね。
私自身、10歳の頃からの夢だったこの仕事に就き、またブランドを持つことが出来たのは「自身の強い意志と努力にこそよるものだ」と、表面には出さなくとも、心ではずっとそう思ってきました。

日本での大学4年間は課題の傍らアルバイトを掛け持ち。予備校に通いながら留学資金を必死に貯めました。一人も知り合いがいないニューヨークに渡った後は語学を含め全て一から学び直し。インターンをしながらドローイング、生地、パターン、テーラリング技術などあらゆるファッションデザインに関する勉強をし、帰国後は辛いアシスタント時代を耐えに耐えてなんとか「デザイナー」と肩書きが書かれた名刺を手にしました。
その間、古い考えのはびこるメンズファッション(特にドレス)の世界で、自身が女性であるがために心ない言葉・態度と共に、嫌がらせを受けることが沢山ありました。「女にスーツの世界の何が分かる」ということのようでした。今の時代では特に信じられないかもしれませんが、本当の話です。
こんな経験を経てようやく手に入れた夢の仕事は、自分自身の努力の末に得たものだということにやはり変わりなさそうではありますが、ある時期を境に考え方が変化していきます。
「今まで支えてくれた人達のお陰で・・・」に、共感するどころの話ではなく、最終的には「まさしくその通り」と思うようになりました。

独立し、自分で会社を運営することになり、爆発的に仕事の種類が増えました。
まず事務所・インフラ整備に始まり、デザインしたものを形にしてくれるパタンナーや工場や探し、生産管理、仕入先開拓、発注、営業、経理、伝票起こし、出荷、従業員教育、運送会社手配、資金調達、商標権取得、銀行や役所・税理士とのやりとり、お客様対応。そしてこれらのほとんどに「交渉と契約」という業務がついて回りますが、特に交渉の部分。これが大の苦手で参りました。まだまだ挙げればきりが無いほど業務は多岐に渡りますが、このうちサラリーマンデザイナーだった私が初めから難なくこなせたものは、なんとただの一つもありませんでした。こなすどころか、始め方すら分からない。

そこで私は片っ端から、それまでに貰った名刺を繰ったり携帯電話の登録番号をスクロールしては誰かにコンタクトを取りました。
各分野に精通している知人達に教えを請うためです。中にはかなりご無沙汰してしまって、久しぶりの連絡が「◯◯について教えて欲しい」というのが申し訳なくて、何日も通話ボタンを押すのをためらった相手もいました。それでも、勇気を出して連絡をすると殆どの人が必ず何かしらヒントを示し、最後には揃って「頑張って。」と言ってくれました。
私には知識はなかったけれど、そうやって知恵を授けてくれる人たちが周囲にいたことが大きな救いでした。
そのヒントを今度は自分で探り、調べ、少し道筋が見えてきたところで行動に移す。トライしてはエラーが出て修正、壁に当たっては何とか道に戻って再開、をひたすら繰り返しました。

恥ずかしながら、「恐れ入りますがご教示頂けますでしょうか」とか、「貴重なお時間をありがとうございます」とか、そういう言葉の本当の使い方を覚えたのはこの時期のような気がします。


さて助けてくれるのも人ですが、えてしてトラブルというのも人との間で起こるのが常です。

華やかなようで大変に泥臭くアナログなファッションの世界(主に生産の現場)では、人間同士の気持ちの汲み取り合いみたいなものが大きく影響する場面に度々出くわします。

ある時、工場が大失敗をして着丈が4.5cmも短いTシャツを作ってしまいました。また悪いことにうちの中では一番生産数の多い商品でした。それも納期の1日前。
びっくりして社長に電話すると、謝りもせず「アイロンで伸ばす。」と。当然分かっているはずです。アイロンで4.5cmは伸びません。うちの生地は元々しっかりしているものが多いですが、特にそれは何年着ても伸びないことを売りにしている商品だったので余計に絶望的でした。
結局Tシャツは伸びず、生産し直しという方向に話が進もうとするのですが、あろうことか社長、イラついた声で「やり直しても良いけど、今繁忙期なんで納期2ヶ月は貰うよ。」と。舐められたものです。悔しくて悲しくて、感情的に怒ってしまいました。電話を切った後も一人でわんわん泣きました。オーダーをくれたバイヤーさんたちには迷惑をかけることになるし、自分の過ちなのに謝りもせず、発注したこちらに対してその態度はあまりにも酷いじゃないか、と。

くれぐれも誤解の無い様おことわりしておきますが、私は卸先でも仕入先でも工場でも、関係性は対等であるべきだと思っています。
お互いがなければ成立しないのですから、買う方は「良いサービス・商品を提供してくれることに」売る方は「それらに対価を支払ってくれることに」双方「ありがとう」が正しい形。その逆も然りで、例えば何か間違いが起きた時には、発注する側される側など立場はどうあれすぐに「ごめんなさい」とリカバリーに全力を投じるのが筋。ただそこで、間違えたんだから当たり前でしょ、の姿勢ではことは上手く運ばないことも、この件に始まり散々色んな目に遭って学んだことの一つです。自分だって間違えることは沢山ありますし、長い付き合いの中では特に「お互い様」の場面がたくさん出てきます。
それらのバランスがあまりにもおかしくなると、商売は必ずうまくいかなくなると考えています。本当に沢山の経験をしました。

あとはもう自分に出来ることを精一杯やる。間違いを起こさせないためにひときわ指示の仕方や内容には注意し、仕事の精度を上げていくこと。振り返れば、忙しさにかまけて少しでも手を抜いたことは、結局あとで跳ね返ってくることが多かったように思います。


また別の問題で、10年の間いつもいつも頭を悩ませてきたことがあります。

私は「日本の職人技を守り継承する足がかりとなるブランドを目指し」やってきました。それは非常に高い技術と精神性を持ち合わせた日本の職人技が存在するにも関わらず、衰退の一途を辿っていることがどうにも悔しく、納得がいかなかったからです。

また私が作りたいものはそれがあってこそ実現するので、現実問題としてなくなっては困ります。そして微力ながらもそれを守る力になれないか、ということがブランド立ち上げの大名目でした。

工場というのは、簡単に言うと作り易く少ない種類を沢山生産したいわけです。つまり生産効率の高いアイテムを沢山発注してくれる発注元を好むのですね。
ところが、私たちのような小さなブランドとしては、どこにでもあるようなものではなく、ブランドならではの特徴のある商品を作りたい。さらに大手企業のように大量発注出来る訳でもない。すると、はじめは信念を持って良かれと思い国内工場に発注をしたはずが、逆に疎まれるというケースに陥ります。

大くの工場にはミニマム(最低発注数量)があり、それに到達しなければ生産は断られます。もしくは信じられないような高い工賃が提示されます。(いわゆるお断り価格というものです。)それによって生産を断念しなければならないか、赤字でものを作るかを選ばなければなりません。工場の運営を考えれば仕方がない部分もあるのですが、でもなんだかそれってブランドを立ち上げた意味あるのかな・・。と、ふと立ち止まることがあります。

もちろん、この信念を理解した上で、落としどころを一緒に探り本当に一生懸命取り組んで下さる工場にも恵まれたことで、今もこうして安定的に良い商品を皆様に提供出来ているのですが、そういう工場を探し長くお付き合いしていくのは実は至難の技です。


デザインを商品という形にして届ける、これがどれだけ大変なことかを思い知りながら、同時に存分に楽しんでこられたのは本当に幸せなことだと思います。

そんな風に私を10年間走らせてくれたのは、お客様はもちろん、取扱店、従業員、職人、工場、パタンナー、生地業者、資材業者、運送業者、印刷業者、PR、Webデザイナー、カメラマン、スタイリスト(敬称略)、先ほど挙げた通り知恵を授けてくれた人、資金がなくて事務所や展示会場を持てなかった時代に会社のスペースを間貸ししてくれた人、そして友人たち・・などなど枚挙に暇がありません。

するとやはり、自然と出て来た言葉は

「今まで支えてくれた人達のお陰でこの10周年を迎えることが出来ました。心から感謝します。」

でした。


これから更に精進し、10年選手の名に恥じない仕事をしていきたいと思います。
こんな私とブランドに今後も末永くお付き合い頂けましたらこんなに嬉しいことはありません。
皆様、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2022年 8月 1日

Kics Document. / KHONOROGICA デザイナー
キクスレイン株式会社 代表取締役 武石佳南子